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08 août 2006 

Electric Shadows:film

小江監督の『夢影童年』を観た。
テレビもラジオもなく、仕事を終えて野外映画を観ることが、唯一娯楽の時代、1970年代から80年代にかけて、映画を愛し、ある意味で翻弄された家族を描いた作品。この作品では、「映画」の存在が主要な登場人物にとって重要な役割を果たしている。母の陣痛が始まるのも映画、最後に両親と玲玲、そして大兵と玲玲を結びつけるのも映画である。監督の映画に対する思い入れが非常に強いことが分かるが、物語の展開にやや強引すぎる箇所も随所にみられるし、ふと疑問に思うシーンもないではない。金魚の餌やりを頼まれたからといって、自分の住処があるだろうに他人の部屋に住み着いて、日記まで読む奴がいるだろうか?玲玲が家を出たあと、重度の精神障害を患いながらどのように高層マンションの一室を借りるだけの生活していたか?などなど。
 共産党政権下の中国映画は「政治第一、芸術第二」で、政治に芸術を従属させる形で一種のプロパガンダとして機能していた。しかし、この映画ではそういった側面はきれいに捨象され、庶民にとっての唯一の娯楽としての側面を庶民の視点から強調している。また、文革の様子もかなりあっさりとした表現に抑えられている。
 現代もプロパガンダ色は薄くなったとはいえ、比較的厳しい検閲制度がある。外国映画などの放映にかんして、上映中止などの話も結構あるようである(最近では『ブロークバック・マウンテン』など)。中国映画にかんしては、例えば麻薬や殺人など反社会的な罪を犯した者が、劇中でハッピーな生活を送るという筋書きはあり得ず、劇中では何らかの形で罰せられるような筋書きが用意される。また、共産党批判をした作品の上映も難しいようである。こうしたなかで中国での映画製作はやはり困難であるとの印象はこの作品を観てもぬぐえないものがある。
 だからとて、この映画にケチを付けようというのではない。一つのノスタルジックな世界を作り出すのには成功していると思う。映画にあったように当時の中国は野外上映が一般的であったが、今ではそういうものはないのだろう。DVDやテレビではなく、映画を大きなスクリーンで観るという点では中国の映画の全盛期だったのかもしれない。私が中国にいた1990年代の初頭に映画館に行った時は、2人がけのシートというのが存在し、恋人たち人目を憚らず寄り添っていてやや驚いた覚えがある。
 野外上映ということでいえば、8月12日(土)に那覇で農連まちぐゎー映画祭が開かれる。そのなかで『恋するトマト』は農連市場の中に銀幕を張って、上映される。夕涼みをしながら映画を鑑賞する野外上映の雰囲気を味わえるかも知れない。
 中国と映画については、1905年に実際に中国で初めて映画が撮影されたという事実に着想を得て、中国における映画の幕開けを描いたフィクション『西洋鏡』という作品がある。これもやや疑問が湧く設定もないではないが、参考までに示しておく。邦題は『玲玲の電影日記』