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15 août 2006 

Beijing de xigua:film

大林宣彦監督の『北京的西瓜』を観た。
千葉の八百屋一家と中国人留学生との深い交流を描いた実話。千葉で八百屋を営む春三はある日、毎日店におとずれては何も買わず、青梗菜が高すぎて買えないという中国人留学生と知り合う。その後、その留学生が栄養失調で倒れたのを助けたことから、中国人たちとの関係が始まる。春三は当時の中国人留学生にしてみれば圧倒的な物価高で苦しむ彼らを世話してやることに喜びを感じるようになるが、家業をほっぽりだして八百屋は経営が悪化していく。さらに留学生のの保証人になったりう、家族の持ち物を留学生たちにあげたり、彼らの家賃を出してあげたりしたことで家族との関係も悪化し、一家はほぼ危機的状況に追い込まれる。
 この作品は春三夫婦が元留学生に北京へ招待されるシーンから突然、趣ががらりと変わってしまう。1989年6月4日の天安門事件が発生したことで、北京への渡航ができず、北京でのロケができなくなってしまったのだろう。作品づくりを途中で投げ出したかのような極めて異例な形で物語が進行していく。それ以上に、天安門事件が監督にとって強い衝撃を与えた。監督が受けたであろう衝撃は僕にもよく分かる。天安門事件は僕にとっても極めて大きな意味をもつ。それは僕が中国学に進んだ具体的な契機でもあるからだ。
 1989年の4月に僕は初めて中国に行った。船酔いする僕が50時間もかけて上海に船で行った。一人旅だった。一ヶ月の旅行は楽しく、刺激的で、今でも鮮明に覚えている。しかし、その後、胡耀邦の死から中国の政治状況は急変し、中国は世界的に非難を浴びた天安門事件になだれ込んでいった。自分は1ヶ月旅行したことで、多少なりとも中国への理解が深まっていたと思っていたが、このニュースに接して自分が中国のことを何も理解していなかったことに愕然とした。留学もしてもっと勉強しなければこの国のことは分からない。そう、強く思ったことが中国学へ進む大きなきっかけとなった。
 映画の話に戻ろう。映画のなかのちょっとした留学生の言動が実にリアルで苦笑してしまう。少しなりとも中国の人と関係がある人なら思い当たるシーンも多いのではないだろうか。春三が留学生に接してしばしば苦々しい思いをする場面がある。彼とて多くの葛藤や悩みも多かったのだろう。現在ではさほどではないが、当時の中国と日本の物価の差たるや凄まじいものだった。そんな状況で日本に留学する彼らにとって春三の存在は本当に大きなものだったであろう。多くの人が誤解しているのは、国際交流には英語ができなければならないと思っていることである。この八百屋の主人のように、外国語は必要条件でも十分条件でもない。必要なのは心である。そんな当たり前のことを、僕を含めて頭では理解できても、実行するできる人はなかなかいない。僕などは社会的には専門家面しているが、この映画のモデルになった人には到底かなわない。この映画をみて強く思った次第である。