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29 mars 2006 

Breve Histoire d'amour:films

 Krzysztof Kieslowski監督のKROTKI FILM O MILOSCIを観た。
 19歳の郵便局員トメクは、毎晩望遠鏡で向いのアパートに住む女流画家マグダの部屋を覗き見ていた。情事にふけるマグダの部屋にトメクは無言電話をかけたり、彼女に逢うために架空の呼び出し状を投函して郵便局に来させたり、果ては牛乳配達のバイトを始めて彼女の家に近づこうとする。しかし、覗き見ているうちに、純粋だが困難な恋におちてしまう。ある時、彼に覗かれていることに気づいたマグダは最初は気味悪がっていたが、次第にトメクに近づいていく。
 女性は性的な身体を見られることによって獲得していく、というのは本当なのだろうか?男性は見ることによって、女性は見られることによって自らのセクシュアリティを形成していく。この映画はその説をそのまま取り入れたように話は展開する。そして、ある日
マグダは「世間でいう愛の正体」をトメクに教える。この「世間でいう愛の正体」という表現は秀逸だ。覗くという観念的ともいえる行為が生々しい身体性を伴ったものになることによって、トメクは絶望する。
 覗きという行為は卑劣だ。自らは対象からの反作用を受けない安全地帯に身を置きながら、相手のプライバシーを侵害する。この映画を観ていてどうしてもちらつく作家があった。三島由紀夫である。覗く男というのは三島作品にも随分と登場しているが、Kislowskiの作品は三島作品とはやや趣を異にする。『トリコロール・赤の愛』では、他人の家の会話を盗聴する退官判事が出てくるが、Kieslowskiの作品には彼らを単純に罰するのではなく、そうしたキャラクターを温かく包む女性を登場させることにより救いの手を差し伸べる。三島作品では覗く者は最後には罰せられ、転落してしまう。『天人五衰』の本多繁邦がまさにそれだ。本多もまた、判事だったことは偶然以上の巡り合わせを感じる。邦題は『愛に関する短いフィルム』。この映画の画像を探している時に、オリジナルの映画ポスターを紹介しているページがあった。こちらである。上段左の三種類がそれである。日本で出されるポスターとは違い、随分過激で驚いた。同じ映画のポスターとは思えない。これではホラーかカルト・ムービーの趣だが、この映画の本質を見事に表している。